オランダに対するポルトガル
オランダに対するポルトガル
1、これに見合った金額の輸出品がオランダ側に渡された。日蘭間の通訳や文書翻訳等には世襲のオランダ通詞,約30家以上,があたっていた。
2、買取価格は日本側が一方的に定めていた。主な輸入品としては,中国産の生糸。輸出品として初期は銀,1668年以降は輸出禁止。
3、おもに小判。もとより貿易交渉が主任務であるが,中には医学,物理学などの学術を修得し,日本人に教えたり,蘭書を読解,翻訳著述する者も現れた。通詞出身の本木良永。馬場佐十郎らの業績は著名である。
4、オランダ通詞は蘭学興隆の陰の力となっている。1763年輸出禁止,その後は銅。
5、漆器などの工芸品もあった。加工された棹銅は輸出品として最も重要なもので,おもに大坂で精錬されており,オランダ人は江戸参府の帰途,大坂の精錬所を見学するのが恒例だった。このような管理貿易の体制が幕末まで続く。通詞には大通詞,小通詞等の階層があり,さらに細かく諸役に分かれていた。
オランダに対するポルトガル
1、交易方法は時代により変遷があったが,元禄11年。からは一括して長崎会所が司った,輸入品は一括して会所が買い取り,商人に売り渡す。